2011年9月27日火曜日

パクリ貴族の出現:西方崇拝

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サーチナニュース 2009/04/22(水) 07:26
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0422&f=column_0422_001.shtml

“山寨版人民日報”も登場、
パクリ文化はどれほど根深いか

 現在の中国では、「山寨(さんさい)」という言葉が最も使われる流行語になりつつある。
 周知のように、山寨とは有名ブランドのコピー製品や中国の物まね文化を意味する流行語である。
 聞くところによるとGoogle社が中国で最も人気がある語彙(China’s new hot words)の順位を発表したことがある。
 この語彙の順位は過去1年で中国で発生した重要な社会事件と社会現象を反映したものである。
 その中の順位第1位の語彙であった「山寨」の
Googleによる英訳はcopycatting(自分の考えがないやつ、複写機)

であるという。

  「山寨+**」という組み合わせから派生した言葉も沢山ある。
 例えば、山寨機(主に山寨ケータイを指す)、山寨ノートパソコン、山寨ファッション、山寨官僚、山寨春晩(山寨版春節パーティ:CCTVで放映される中国版紅白歌合戦のパクリ番組)、山寨映画、山寨大学、山寨劉翔、山寨奥巴馬(山寨版のアメリカ大統領バラク・オバマ氏)、山寨明星(山寨スター)、山寨紅楼夢、山寨版人民日報、山寨式民主、山寨共和国、山寨百家講壇など。「山寨」という現象を描く言葉としては「山寨文化」「山寨社会」「山寨資本主義」「山寨精神」「山寨族」「山寨化」などが挙げられる。
 今は何でも「山寨」で表現できる、という勢いである。

  「山寨+**」という言い方はすでに人々の口癖になってしまった。
 山寨はもはや単なる一つの名詞ではなく一種の特定の文化現象として熱く注目され、社会各界の論争を引き起こしている。

  言うまでもなく、山寨は「ニセモノ」「コピー」「海賊版」の代名詞である。
 「山寨」とはそもそも盗賊などが政府の管理から免れるべく山中に築いて立てこもった砦を意味する。
 30年にわたる改革開放を経た中国社会は新しい文化を吸収しやすくなり、包容力を増してきた。
 中国社会の山寨文化に対する寛容は、その証であるかもしれない。

  2009年は山寨の年と言えると思う。
 山寨ケータイ業は「山寨文化の奇跡」と呼ぶにふさわしい繁栄ぶりをみせ、その上、山寨ノートパソコンも殺到した。
 業界関係者は、現在の山寨機が昔、山寨版のVCD機のように氾濫するかを心配している。
 山寨は、産業の魔の咒いのような存在として、一旦、山寨製品が、ある産業を席卷したら(同産業のローエンド製品の「山寨化」でも)、この産業の元々の経営者は例外なく未曽有の競争環境に晒され、ついに従来のシェアを喪失してしまう。

  やはり携帯電話を例にして話を進めていく。
 過去数年間に大量の安値な山寨機が堂々と東南アジア、アフリカ、中東、ロシアに出回った。
 ブランド品と比べて10分の1以上安い山寨機は、普通の消費者に歓迎されるが、正規メーカに憎まれる。
 最近、業界の抗議の声を受け止めたインドの通信管理部門は、ついに中国からの山寨機を「封殺」するようにした。
 ただし、これは特段珍しい例ではない。
 中国でも山寨版製品が波及するすべての分野で、山寨版製品追放運動が盛んに行われている。

  現在、山寨を言い出すと、携帯電話のことを指す場合が多い。
 実際、このような模倣行為は中国では十数年の歴史を有する。
 たとえば、80年代に日本の任天堂が開発した第一世代のゲーム機FC(family computer、ファミリー・コンピューター、ファミコン。
 中国語訳は紅白機)とソニー(SONY)のwalkmanが流行した時に、中国では多くの山寨FCと山寨「walkmanブランド」が出現した。
 これらの製品の外観と「ブランド」の名称はSonyとPanasonicにきわめて似たものであった。
 たとえばsong、ponosanicなど。
 模倣対象より多くの機能をもつ、値段が安い、という特徴があった。

  ある意味で言うと、所謂山寨は、海賊の同義語でもある。
 東西問わず、海賊の歴史は長いと思う。
 現在に至ってもマラッカ海峡やソマリア海域は海賊の活躍で知られている。
 特に西方の資本主義の勃興期に、「海賊経済」が商業資本主義の寄生虫のように空前な繁栄を迎えた。
 「略奪」「強盗」を特徴とする海賊経済は商業ルールを破壊するもの。
 中国の歴史を省みると、海賊も有名であったが、やはり山寨文化が深く人の心に染込んでいる。

  中国四大名著と称される中の、「水滸伝」「西遊記」は山寨に深くつながる内容を描く小説と言える。
 これらの小説を読めば、江湖の言葉では山寨は「緑林の好漢たちが占拠する根城」と言うことがわかる。
 明らかに山寨文化は侠客文化と平行する中国伝統文化の一つの枝葉として、一般民衆から必ずしも排斥されていない。
 これも今日の中国における山寨産業の伝統文化的な基礎であると思う。

  しかし、現在氾濫しつつあるいろいろな山寨製品の背後に、海賊経済と同様に商業ルールを転覆させる略奪方式が目立つ。
 山寨製品の一部は知的財産権を侵害する粗悪なニセモノであり、人から軽蔑されるレッテルを貼られた邪道の商品でもある。
 だが、品質がそんなに悪くない山寨製品を生産しているメーカーの多くは、ただ製品模倣を製品開発とし、長期的な環境損害を念頭におかず、短期的利益を得ている。
 山寨製品は安価という共通の特徴を持つ一方、従業員の訓練不足、研究開発への投入不足、「血汗工場」(労働者の権利を無視する過酷な労働環境で働かせる搾取工場のこと)、環境汚染などの問題に直結している。

  山寨機から始まった山寨は、多くの文化領域に浸透している。
 人々はなぜ、「山寨」を濫用し、喜んで「山寨」という符号で各種の文化現象を表現するのか。
 これはおそらく
現代中国の文化生態と文化的な態度のいくつかの特徴を示す

ものである。

  山寨の意味を解釈することは難しいと思う。
 山寨現象は孤立した事件ではなく、中国の社会文化における深層構造に存在するものであるからだ。
 山寨である現象と、ある人の群れを表すのは不適切かもしれない。
 だからこそ、筆者は山寨で中国社会の全体を表したい。

  中国の思想界には山寨現象に楽観的な態度を持つ人もいる。
 北京にいる時事評論家・韓浩月氏は、山寨を自己表現方式の一つと見なしている。
 彼は、山寨文化は草の根から生まれ、草の根に向かう、山寨文化は草の根に新しい選択方式、主流の考え方・文化・価値観に対抗する可能性をもたらしたとの見方を示す。
 しかし、そうであるならば、筆者は、主流文化を模倣する草の根の存在は、主流文化を代表する階層が強大な「話語権」(言葉を発する権利、世論をコントロールする権利)を握っていることを前提にしているからだと考える。

  エンターテインメントの領域では、山寨明星(山寨スター)は単に香港と台湾のスターの容貌と似ているだけで、中国の内陸の地方都市で高い人気と出演収入を獲得することができる。
 このようなスターへの崇拝の背後に隠れているのは、中国の経済発達地域を代表する香港と台湾が誇る文化的あるいは経済的地位への崇拝である。
 このような崇拝は改革開放の初期は現在よりもっと顕著であった。

  山寨製品の生産・消費と
 山寨文化は目下中国社会における貧富格差の深刻化と文化生態の悪化を如実に反映したもの
である。
 中国人口の3分の2を占める農村部人口(農民、農村からの出稼ぎ者)は往々にして、山寨製品や山寨文化の最も主要な生産者と消費者である。
 社会の最下層にいる彼らは消費力は低く、受けた教育レベルも低い。
 自分自身の民間文化がすでに主流文化に破壊されてしまった彼らは、主流文化圏に溶け込む能力を持てず、主流文化に疎外・排斥される。

  世界で貧富の二極分化が最も目立つ国の一つである中国では、
貧乏人の「山寨」は富裕層の生活様式への崇拝と模倣である
と同時に、富裕層(富豪)も「山寨的」である。
 現代中国の富豪の豊かになる速度は世界で最も速い
 彼らの父親の代は農民や一般市民であったはずだが、中国の改革の波に乗った彼らは30年という短い期間でジリ貧の人から富豪に変身した。
 中国という「貴族」が存在していない国では、富裕層は西側諸国の上流社会の生活様式を真似て自分の文化的地位と「貴族的な地位」を標榜するしかなくなる。

  しかし、貴族文化の学習は富を集めるように短時間ではできない。
 先に豊かになった富裕層も「山寨貴族」と呼ばれている。
 確実なことは、
 「山寨化」が進む中国社会は西方崇拝という方式で、「山寨社会」になりつつあるということ
だろう。
(執筆者:祝斌・北京在住の社会問題ウォッチャー)





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